「成功」したい人は山に登ると良いのではないか理論
独立してから、時間と余裕(と気力)がある時は、なるべく登山に行くようにしています。
登山といっても、本格的なものでなく、春から秋にかけての日帰り登山です。
その目的を一言で言うと、単に「体力づくり」です。
偶然にも、某お客様も登山が趣味なようでして、毎年年末に、忘年会ならぬ、忘年登山にご一緒させて頂いてます。
ただ、ここ数年はデスクに向かってプログラムばかり書いていて、体が鉛のようになまってますので、かなり足手まとい状態ではあります。
(去年は本当にご迷惑おかけしました。苦笑)
あと、ここ最近は毎年、富士山にも行っています。
とくに今年は、友達と行って、さらにウチの嫁とも行く予定で、合計2回登ります。
でも、登山って、(お年寄りの事故のニュース等、よく聞きますが)、面白半分で行くと本当に怖いところなんです。
例えば去年も、友達と那須岳にも行きましたが、かなり怖い思いをしました。
その日は風が驚くほど強く、突風で砂埃が肌に刺さり、痛くて正面を向いて歩けませでした。
しかも強風でしゃがんだままでないと登れないという、想像を絶するコンディション。。。
なんで「しゃがむ」かというと、立ったまま登ると強風で飛ばされそうになるからです。
実際、隣で歩いていたおじいさんが吹き飛ばされていたのを見てビビりました。(まあ無事でしたが。)
もうひとつ、数年前に妙義山という山に行きましたが、途中から岩場になり、なんと、鎖をつたって、ほぼ直角に岩を登らなければならない道もあったりして、かなり身の危険を感じました。
「これ、落ちたら死ぬよね?」なんてフレーズが友達との会話の中で、ちょくちょく出てきました。
そしてやっと頂上付近、ここは登るの厳しいな、と思って1か所だけ諦めた場所がありました。
後で知りましたが、その部分を登るのに失敗して死んだ人の慰霊碑がすぐ横にあったそうで、登らなくて良かったなと。。。
このように登山は、事前にちゃんと調べて行かないと、本当に命がけなのです。
***
さて、今年もそれに懲りずに梅雨が明けたら登山に行く予定なのですが、ある時、友達とこんな話をしました。
犬:「今年も富士山に行こうぜ。」
友達:「なんで、そんな修行僧みたいな事、毎年しないといけないんだよ。」
犬:「うーん、確かに。。。いや、確かに、良く考えると登山って、めちゃくちゃ辛いよね。」
友達:「うん、辛い。」
非常に素朴な疑問でした。
明らかに登山はあんなに辛いのに、なんで毎年行くのだろう。
いや、ほんと、登山って辛いんです。
登山の玄人も、「登山はどんな登山でも辛い!」と言ってますから、やっぱ辛いんです。
それなのに、なんで行きたくなるのだろう?
体力づくりなら、別に登山じゃなくてもいいよね?
その疑問がかなりの間、頭から離れず、いろいろ自分なりに考えてみました。
そして出た結論は、「登山は目標達成の縮図」だ、ということでした。
その小さな目標達成による達成感と満足感が、また次の登山へとつながるんだろうなと思いました。
実際、頂上にたどり着くまでの苦痛が、頂上に着いた時には嘘のように忘れ去ります。
これが、すごく、快感なのです。
上を見れば、はるか彼方に見える頂上。
いや、頂上なんか見えないこともあります。
どれだけ歩いても、頂上は先の先の先で、本当にウンザリします。
「なんで、こんなことしてるんだ、オレは? 」
「家でコーヒー飲みながらデーゲーム見てた方が良かったのではないか?」
「もうここまでくれば満足だ、ここらで引き返して食事でもしよう。」
「今日は、ここまでにしよう、また来年、頂上に行けばいいよ。」
なんていう気持ちに何度となくなります。 でも、
「いや、ここでやめたら、負けだ! もう少し頑張ろう!」
なんて、思いながらフラフラしながら、それでも一歩ずつ前に進むのです。
何かしら目標を達成するまでの道のりも同じですよね。
そもそも自分が立てた目標なのに、自分が達成できるなんて思ってないのです。
目標は、夢であって、そして、いつまでも夢であり達成できない程、遠くにあると感じます。
でも、一歩ずつ登っていけば、そのうち頂上が見えてくる。
その「一歩」を続けるかどうかが、成功と失敗の分かれ目なのです。
イチローも言ってますけど、
「小さいことを重ねることが、とんでもない所に行く唯一の道」
なのです。
それを、登山は身をもって実感できるのです。
たった、一日で。笑
自分なんか、本当に体がなまっていて、なにより心肺機能が弱ってきているので、5分も坂道を歩けば、すぐに息切れして酸欠状態になります。(元陸上部のクセに)
そうなると、歩くと言うより、まさに「昔の国会の牛歩戦術」状態です。
その歩幅は、もはや足の幅と同じ。
進んでいるのか止まっているのかわからないくらいです。
そういえば大山に登った時が特にそうでした。
1人で張り切って(徹夜で)車を運転して鳥取へ着き、そのまま登ろうとしたら、ほんの10分で酸欠でダウンです。
横になってグッタリしてると心配してくれたおじいさんやおばあさんが介抱してくれて、情けないやら恥ずかしいやら。。。
(実は内心、「人って優しいなあ。。。」なーんて思って感動してたんですけど。苦笑)
そこで、やっぱり徹夜で登山は無謀すぎるだろうと思い、周りの人に迷惑かけるのも悪いからやめようと思ったんです。
が、
そこで気力を振り絞って諦めず、本当に少しの、まさにアリの歩幅の1歩でも、止まらずに1歩ずつ登ろうと思って頂上まで行きました。
途中、「早く登らないと日が暮れちゃうよー。」と親切に時間を教えてくれるオジサンもいましたが、とにかく、小さな歩幅で一歩一歩進みました。
鳥取まで来て、諦めるのが、嫌だったのです。笑
実は登山って、アリの、いや、ノミのような小さな一歩でも、その1歩が重要なんだということを、その時に知りました。
これは、ものすごく、大きな知識、いや知恵でした。
良く考えたら登山で進む実質的な距離というのは短いんです。
例えば、富士宮口から富士山の頂上まで登山コースとしては「5キロ」しかないのです。
大人の歩く速さが平均時速4キロですから、平坦な道なら1時間ちょっとでゴールできる距離なのです。
それが、急な坂になっているから、辛いだけなのです。
にもかかわらず、普段歩くペースで登ろうとするから息が切れたり、途中でダウンすることになるんです。
普通の歩くペースで登っていた人や、ふざけて駆け足で登って行った人は、途中で何度か休みを入れることになります。
最初は1時間おきの休憩が次第に30分となり、15分となる。
下手したら、だんだん休憩間隔が短くなるので、「もうだめだ」と、そこで諦めてしまう人もいます。
実際、小さな一歩でも休みなく登り続けると、そういう人たちを後から後から抜いていくこともあります。
そして、ついに、頂上に着きます。
例えいつもの5倍遅くても、わずか半日で頂上に付けるのです。
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余談ですが、「上を向いて歩こう」ではなく「下を向いて歩こう」作戦というものがあります。
自分が小学生のころ、学校から家まで15分の通学路を歩いて通ってました。
15分は結構遠くて、特に一人で帰宅している時はつまらないし、ちょっとした苦痛でした。
でも、足元を見て歩いていると、その距離感を感じずに家に着けるのです。(危ないですが。笑)
これなんか、1歩1歩進めば必ず頂上に達する事ができるという登山と似てます。
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それにしても、くどいようですが、頂上に着いた時の達成感は、何物にも代えがたいです。
大きな危機、絶体絶命の危機を乗り越えたような安堵感も含まれていると思います。
とにかく、なにもかもすべてが解放されるのです。
まぁ、小さな達成感ですが、わずか一日で味わうことのできる達成感としては、最上級のものだろうと思います。
この達成感と満足感は、味わっておいて「損」はないと思います。
いや、むしろ、ぜひ「オススメ」します。
この頂上に着いた時の達成感、そして満足感、解放感、そして、(晴れれば)頂上でしか見れない美しい景色。
これがあるので、また登山をしたくなるんでしょうね。
ただ、毎年、富士山に登ることで、まだまだ体力はあるんだなと、確認する目的もあるかもしれません。
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と、ここまでだと、「登山=気持ちいい」、「登山=目標達成のプロセスに似てる」だけで、「ふ~ん、あっそう。」で終わってしまいます。
やっと長々と書いてきましたが、この話の肝心な部分です。
いわゆる「成功哲学」と言われるものの中に、「成功グセをつけよう」みたいなものがあります。
大きな目標を達成しようとしてうまくいかない人は、まず小さな目標を達成して、「うまくいく」とはどういうことかを知っておく必要があるという理論です。
つまり、それを知っておけば、どれだけ努力して、どうやれば達成できるかの方法論を感覚的にわかるようになるのです。
知らないこと、わらないことを実現するのは難しいですが、既に知っていることをもう一度することは簡単ですよね。
どんな小さなことでも「成功する、達成する」ということを肌で知っている人は強いのです。
それと同じで、登山において頂上まで歩くということは、ひとつのシンプルで小さな「成功体験」なわけです。
登る前の不安から始まって、道中の苦しさと、頂上での達成感。
まさに、目標達成=成功体験の非常にわかりやすい縮図になっているわけですから、こうして登山で頂上まで行くことによって、小さな成功体験を積み重ねることができるのです。
さらに、もう一つ面白い話があります。
バラエティ番組で某脳機能学者が言ってましたが、継続的なストレスは体に悪いですが、一時的なストレスは、むしろ体に良いらしいのです。
とくに脳は、ストレスを感じて、そして、壁を乗り越えた時に、飛躍的に発達するそうです。
登山なんかは、まさに、その条件にピッタリだと思いませんか?
そういえば友達が「修行僧じゃあるまいし」なんて言ってましたが、確かに修行僧は山に登りますよね。
修行して悟りを得ることが目標なのか何なのか、私は修行僧ではないので知りませんが、悟りを得るのに役立つから山に籠ったと思うのです。
山に登ることで、何か人間的に磨かれる事があるということですよね?
なんだか、それを突き詰めてみたくなりませんか?
いや、ならないですよね。あはは。