あけましておめでとうございます。今年は高周波で行きましょう。

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大変大変遅くなりましたが、皆様、あけましておめでとうございます!

本年も変わらぬご愛顧を賜りますよう、何卒、よろしくお願い申し上げます!

 

さて、新年どころか、もう2月ですね、スミマセン。。

こういった「挨拶」で、ふざけるのは非礼であることは承知なのですが、皆様には年賀状などでご挨拶させて頂いているので、ご容赦頂ければと思った次第でございます。。。

楽天ブログの時代から、10年以上も所謂「社長ブログ」を書いてきましたが、1月に何も書かなかったのは今年が初めてです。

別に旧暦を重視したとか、本来は節分過ぎると新年ですよねとか、そういう屁理屈を言うつもりはござーせん。

(まあ、偶然にも結果的にそうなりましたが、気分的にも2月に入ってかなり新年な感じでして、割と好調なんです。)

昨年から今年にかけて、あまりにやることが多く、でも、昨年よりもきっちりこなすことができ、さて、1月の年初のブログは何を書こうかなと楽しみにしていたら仕事が忙しく時間だけ過ぎてしまいました。。。

タイミングを逃すというのは恐ろしいものだと思い知ることができました。

 

***以下余談***

 

さて、そのタイミングですが、よく「大きなチャンスは人生に1、2回しか巡ってこない」という人がいます。

まあ、きっと確率論からしたらそうなのかもしれませんが、それはちょっと違うかもしれないなあと思うことが多々あります。

かといって自分にはチャンスばかり巡ってくる、なんてことはないのですが、何か目標があって、それを達成するのに神頼み・運頼みだというのなら、それは確かに、人生に1、2回なのかもしれません。

しかし、目標に向かって準備や努力をすれば、チャンスは都度あるよなあ、、、と思うのです。

小さな目標を達成するごとに大きな目標に切り替えて、真面目にコツコツとやれば、チャンスはいつも目の前にあるような気がするんですよね。

 

ところで、このような真面目にコツコツという姿勢を最近では「グリット(やりぬく力)」と呼ぶようです。

人にアドバイスする時に言ってもなかなか響かなかった「真面目にコツコツやればいいことあるよ。」なんてフレーズも、「成功者に共通している能力、それはグリットだ!」、なんて格好つけて語ってる人なんか見ると、なんだか妙に説得力あって若干腹が立ちますが、まあそれは置いておくとして。。。

そもそも「成功」したかどうなのかなんてのは自分で決めるものでして、周りや社会に認められなければダメとか、そんなことはなく、自分が良ければいいんです。

そういうところで格好つけて自分の実力以上に無理するとうまくいきませんし、ちょっとづつでいいんです。

そのうち周りや社会に認められるようになるでしょう。(たぶん)

と、思ったりしますが、ある程度自分で小さな目標達成数を増やしていくと、だんだん現状に満足し始めます。

そうすると、ちょっとづつ違和感のようなものを感じてくる場合もあります。

 

で、昨年からブログにも書いてましたが、このなんとなく「違和感=虚無な感じ」といいましょうか、そういう感じが長らく続いておりまして、新年開けた時も、「あれ?なんだか2016年とほぼ同じ年末年始だなあ。」と思いながら、確かに去年と同じことを着実にしっかりとこなし、そして、4日から淡々と仕事をはじめたのでした。

この虚無感、そう、きっとこれは「幸せボケ」だ!というのがこれまでの結論だったのですが、もしかしたらちょっと違うかなと2月に入って思ったのです。

虚無な感情だけでなく、一見してネガティブな状態でも、それに流され無い程度に観察することは、やっぱり重要ですね。

というのも、1月を慌ただしくすごし、年度末が近づくにつれ、これでまたさらに忙しくなるのかなあと思ったときに、妻が「JR袖ヶ浦駅前にマンションができるのでモデルルームを見に行こう。」ということになりまして、行ってみたらこれがまた買わせるための演出がすごくて、ムービーや模型などちょっとしたテーマパークみたいでして、不覚にも少し感動してしまって、でもそれが、ちょっとしたインスパイアにつながったというか、とても良い機会になったなと。(いや、マンションは買いませんけどね。苦笑)

 

ちょっと余談ですが、JR袖ヶ浦駅前は今非常に開発が進んでまして、これも森田知事のアクアライン800円政策と木更津アウトレットの賜物なのかなと思いますが、そのおかげで周辺の地価も上がってたりしてまして大変盛り上がっているのです。(たぶん)

そしてさらに、核家族化、極端な低金利、マイホーム政策も相俟って、人口は減っているのに分譲地がどんどん増えてまして、袖ヶ浦市、木更津市の森や林がどんどん消えていっているのです。

「なんてことだ、けしからん!」などと狸合戦ポンポコみたいなことをいうつもりは毛頭ありませんが、大人になってからリアルにそういう光景を見ると、むしろ、逆に、人間ってすごいなあと感心するわけです。

 

やっぱり人って、少なからず、発展することが悪である、という感情って持っているような気がするんですよね。

そして、なにをするにも、人より一歩抜きんでて、ということさえも憚られたりしますよね。

逆に質素に最低限でエコに暮らすのは良しとされていて、でも、それは確かに良いのですが、どっちも「程度の問題」だと思いませんか?

その負荷・バランスによって大きく印象が変わるものなのです。

こういった拡大・発展・変化する力と、その一方で、ミニマリストじゃないですけど、維持・収束する力という二極がある中で、自分の場合は(先日のブログにも書きましたが)、ミニマリスト的な方向へ舵を取ろうとしていました。

でも、ふと思うと田舎暮らしを始めた時も、そういう考えだったんですよね、そしてそれが再び巡ってきたにすぎません。

あれ? 同じことの繰り返し!? どうなんでしょうか??

 

こういった二極の力があるとして、そもそも、その2つのバランスを取るというのはどういうことなんだろうかと次に思いました。

自分はいつもバランスというものを重視していて、それはなによりも、バランスをとった方が生きるのにラクだからに他ならないのですが、だったら、どうバランスをとったらいいのかについては、あまり具体的に考えていなかったように思います。

「そんなもん、田舎と都会と中間で暮らせばいいんじゃねーの?」なんて言われそうですが、まあそれはそうかもしれないのですが(笑)、今回はそういう話ではなく、バランスをとるというのは、そういった二極間を波のように揺れ動いて、それを俯瞰してみると結果バランスが取れているね、ということなのかなと思ったのです。

つまり、結局どっちでも良いのですけど自然に揺れていれば、つまり思ったとおり動いていれば、バランスはとれるんじゃないかなと。

やっぱ人生はスパイラル構造だなと。

どっちかに決めて、それを実践しようとするから、へんな虚無感に襲われたりするんだろうな、と、そう思ったのです。

なので、つまり、人は揺れないと先に進まないんですよね。

進歩したければもっと高周波でなければならないわけです。笑

そう思ったら、2月に新年があけました。

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