法人であるということ
法人とは法律上では「人」であるとされる。
ところで、非常に唐突だが、法人は不死身だ。
生身の人間のように病気もなければ死もない。
法人の死。
敢えていうなら倒産(解散)だが、どれだけ赤字の法人でも、解散しなければ永遠に生き続ける。
何を当り前の話を。。。と言われるかもしれないが、この事実は自分にとって大きな感動だったのだ。
いや、確固たる理念を持って、後世に熱いメッセージを伝えたい経営者であれば、自分が死んでも理念は永遠に生き続けるという事実に感動を覚えないはずはない。
まだ会社を立ち上げたばかりで、偉そうなことを言えないが、さらに偉そうなことを言わせてもらえば、今、自分の会社の後継者を育てたくてウズウズしているところだ。
後継者はおろか、社員さえもいないのに何を言っているのか?
という話なのだが、結構このワクワク感が抑えられないでいるのだ。
なので、次期社長を、いたるところで探していいたりする。
(なんなら、この場でも募集する!)
とにかく理念を伝えたいのだ。
理念とはビジネス・取引における方針であったり、得意先や仕入れ先との接し方、すべてに関わる部分に影響を与える行動指針となる(はずの)ものだ。
生身の人間でいうところの「生き方」だ。
普通に生活できて、普通に楽しさを味わい、普通に明日を迎える。
この普通が幸せだと思う。
もちろん、辛いこともあるが、死ぬまでずっと辛いわけではない。
多くの人が幸せになるために、今の自分の生き方を会社という不死身の存在に企業理念という形で託しそれを社員や多くの人に伝え、教え、育て、大きくして世界に広げていく。
とてもエキサイティングだ! (と思いませんか?)
(別にお寺の坊さんや学校の教師のように説教して教えるわけではないけど。)
振り返れば自分は人にものを教えるのが好きだった。
大学時代も4年間ずっとアルバイトは塾講師と家庭教師だけだった。
会社員時代も後輩に仕事を教えている時間の方が仕事の時間より楽しかった。
自分の父親は高卒だが、夢は教師だったらしい。
自分の弟はいつのまにか教師になっていた。
自分はといえば、紆余曲折あって結局エンジニアをやっている。
小さい頃からモノ作りが好きだったから天職かもしれないが、人にものを教えることを職業とする選択肢もあるにはあった。
教師になろうと考えたこともあった。
が、正直言って当時は、未熟な自分が職業として他人にモノを教えるという事が怖かった。
ましてや、そんなことを職業にできるほど人間ができてない。
人を裁くなんぞアリエン!という同じような理由で法律を勉強したのに法律家を嫌悪していた。
こういうのをバカ正直な人間というのだろう。
が、そういう性格を自覚しながら、敢えて、そのバカ正直を通すことで、見えてくる世界もある。
そうやって今まで自分が見てきた世界がある。
今なら「それ」を人に教えられる。
かな!?
ということである。
さてさて、もしも後継者が見つかったら、自分は何をしようか?
「人を教える仕事に就きたいな~。」
って、小学生みたいな事を言っているが、案外そうなるだろうな、と思っている。