過去を振り返る(退屈と好奇心)
先日、ちらっと書きましたが、自分の過去を幼少時代までさかのぼって自伝のようなものを書いてみたいなと。
でも、自伝が書きたいわけではないんです。
自分の過去の経験の中で、何か見逃してしまった大切なもの(感覚・感情など)がないか、気になったのです。
未来にそれを探し求めればいいじゃない?、と自問自答しましたが、これといったものが見つからないんですよね。苦笑
今を生きればいいじゃない?、とも思いましたが、ふと立ち止まると、その瞬間、「退屈」なんですよね。
そして、なんで退屈なのか、わからないんですよね。
退屈でもいいじゃんと思うかもしれませんが、退屈というのは、自分にとってあまり心地よい感情ではないのです。
とくに、昨年の暮れくらいから、物事に対して退屈しているような感覚があるのです。
しかし、多分、自分は幸せなんだと思います。
ただ、幸せだとか、そういう感情でさえ、慣れてくると退屈になってしまうものなのだろうかと不思議でなりません。
思うに、地球(少なくとも太陽系)という仕組みっていうのは、地球上において明らかに他の種とは異質である人類の、「退屈」という感覚を前提に作られた仕組みなのかもしれません。 とさえ、俺は言う!(by 林下 清志)
子供の頃とかは、TVゲームとか野球とか、好きな遊びをずっとやっている時に、ふと、虚無な感じになり、これの何が楽しいのだろうと、突如として、やーめたーっ!てなるパターンがたまにあったのですが。
大人になって経験が増えると、何かをする前から先の楽しみが予測できてしまうってのもあるのかもしれません。
これもやっぱり歳を取るということなのだろうかと結局、ここ最近の自問自答において、ほぼベストアンサーであろう結論にたどり着くわけです。
1年ほど前に、こんな日記を書いていたことを思い出しました。
この時は、そういう生き方をしようなんて軽い感じで決意してみたものの、1年たって振り返ると全然できてないことに気が付いたのでした。。苦笑
あれこれ忙しいと、些細なことが煩わしくなってきます。
田舎にいた時のように地域の行事もそうなのですが、身の回りにある物でさえ気が散る要因になります。
なので、必要なことだけやる、そして整理整頓、不要なものは捨てるかリサイクル、というのが一番良いのですが。
先日こんな日記も書きましたが、自分の「心のよりどころ」であるなんて思っていたものでさえ、時に気が散る要因になります。
大自然の中にいるという感覚というのは常に忘れてはいけない大切な感覚だと思ったのですが、振り返ると、ここ数ヶ月は草刈りにしか行ってないことに気が付きまして。苦笑
3週間前もそうでした。
いつもより少し朝早く起きて車でぶっとばして田舎に行き、草刈りして、あーすっきりした、きれいになったぞーと、そのまま夕方前に家に帰る。。。
単なる空き家の管理人になり果てていることに気が付いたのです。笑
でもこれって時間がなくて、忙しいから田舎に行けてない、ということでもないんですよね。
結局、立ち止まると、引っ越す前の家でやっていたことを再びなぞっているだけで新しいものはあまりなく、その行為(自然に触れる)自体が重要であるということは認識してますし、やり始めると楽しいのですが、「だからなんなのだろうなぁ。」と思ってしまうわけです。
やっぱり、その行為自体が退屈してしまっているんじゃないか?としか思えないのです。
でも、正確には「退屈」という2文字で片付けられるほど、つまんない感覚ではないという直観もあるんです。
これは、すごく重要なことのような気がするのです。
この、退屈という感覚が、自分の過去の中において、どのような役割をはたしてきたのか、それも非常に興味のあるところです。
なので、過去を振り返ってみたくなったのです。
例えば、退屈の反対が好奇心だとしましょう。
もう何年も昔ですが、ある本の作者がどういう人間なのだろうと気になって、アポなしで自宅までインタビュー(というか質問)をしに行ったことがありました。
変わり者が来たと思われたでしょうが、いろいろと話が聞けたので良かったのですが、最後に一番聞きたかったことを聞いたときに、なぜあなたはそんなことが知りたいんですか?とふいに聞かれて、思わず正直に「好奇心です!」と笑顔で言ってしまったのですが、顔色が少し変わって、しかし穏やかに 「うーん、好奇心というだけでは質問には答えられませんねえ。。」 と言われてしまったことを覚えています。
恐らくその著者は、「なんでお前の好奇心のために時間を割いて、なんでもかんでも教えてやらないといけないんだ!」と思ったに違いありませんが、自分はまだ子供だったので、好奇心の何が悪いんだろう、好奇心とは悪いことなのかと、相当、悩んでしまったのです。
その後も色々考えたのですが、やっぱり「好奇心」というは、実はすごく人間の本質に近いところから発するものではないかと思うんですよね。
生物の生存(サバイバル)に直接的に不要なものでも、辺に過剰な好奇心がどこからともなく湧いてくることってありますよね。
これって不思議ですよね。
いかがでしょうか、「退屈」というものが、そのなんとも不思議な「好奇心」の対極にあるものだとしたら、、、ものすごーく、奥深い何かをもっていると思いませんか!?
とさえ、俺は言う!(by 林下 清志)