社会貢献とは結局何か?
世の中は変わるものです。
その変化に抗っても何も良いことはありません。
水は流れが止まると濁りますが、こんなに上手い例えはありません。
良いものは受け継いで、悪いものは改める、それをしないと世の中のどんなものも例外なく濁っていきます。
自分も常にこれを肝に銘じています。
常にものごとの本質を見るようにして、表面上の流れに惑わされないことも重要ですが、今、自分がベストだと思うことが、過去の自分がベストだと思ったことに反するのであれば、潔く古い考え方を改めて、新しい考え方を採用するようにしています。
独立してから時が経つにつれ、若い頃の考え方はどんどん変わってきています。
例えば、よく思うのですが、相手の立場に立ってものを考えようと思ったら、その相手の立場を実際に経験しなければ、決して相手を十分に理解できません。
そして、実際にいろんなポジションを自ら経験すると、過去の自分の考え方が、いかに一方的だったかと痛感します。
ビジネスでいえば、その典型なのは、上司と部下の関係でしょうか。
発注先と発注元の関係もそうですね。
例えば、よく年配の方(上司とか政治家とか)で結論を先送りする人っていますよね。
若い時は、なんでそんなことサクッと決められないのかなと、よく思ったものです。
でも、やっぱりお互いの立場で物事を考えると、結論ってなかなか出ないものです。
ただ誤解のないように言っておきますが、これは結論を出さないのが良いのではなくて、結論が出ないというその状況に対して共感できるようになることが良い、ということです。
初心忘るべからずと言いますが、そういえば、自分が独立開業した当時は「社会貢献」が会社の大きな目標でした。
・・・が、今は少し考え方が変わってきています。
どう変わったか、のその前に、当時の自分の社会貢献の方法を話しますと、それは2つあって、ひとつは寄付です。
これは今でも続けていますし、売り上げが上がった分だけ増やしています。
(こういうことを書かない方がいいという人もいますが、書けば真似してくれる人もいるので敢えて書きます。)
そして、もうひとつは世の中のために頑張っている人をITを使って支援するという方法です。
後者については過去のブログにも書きましたが、これは大きな失敗、というか方法としては、そもそも誤りだったようです。
ですので、今はもうやってません。
後者の失敗で「社会貢献」ってそもそも何なのだろうと、かなり考えました、というか悩みました。
なぜ、善意につけこむ人がいるのか、なぜ善意を理解できない人がいるのか、なぜ善意なのに「飽きる」ひとがいるのか? などなど。
例えば世の中には寄付だというと控除できるからとか、そういう理由で寄付をする人もいますが、それくらいの邪心(?)ならまだマシです。
善意の人を、「カモ」だと思って探している酷い人もいるのです。
また、あまり言いたくはないですが、善意を受ける側も、それが当たり前で、「どこかに善意は落ちてないか~?」と、そんな人もいたりします。
でも、これは単に不運だっただけかもしれませんが、うーん、・・・よくわかりません。
とにかく、自分のやり方がまずかったのだろうと思います。
なので、社会貢献の方法として、後者の方法はやめることにして、もっと根本的に社会貢献とは何かを考えてみたのです。
そうすると、けっこうすんなり答えは出て、まずは自分の周りにいる人を幸せな気分にさせることではないかと思いました。
今でいえば一番身近なのは妻でしょうか。
でも、これってすごく難しいですよね。苦笑
不思議なことに、近所の人や知らない人には優しく、親切にできたりするのに、両親や妻などの身内にはなかなかそれができません。
その原因の第一は「照れ」でしょうか・・・。
古い人間なんでしょうかね。苦笑
よく言われることですが、自分が幸せでないのに、どうして他人を幸せにできるか、ということですね。
他人が幸せだと感じているということは、きっとその人も誰かを幸せな気分にさせていると思うんですよね。
なので、まず自分がその幸せの連鎖の起点になりましょう、ってことですね。
あと、仕事、それ自体も、社会貢献ですよね。
これは実は昔からそう思っていたのですが、あまりに当たり前すぎて言うのも恥ずかしかった部分がありました。
でも、今は声を大にして言いたいです。
というのも、311以降、田舎に疎開する人が増えました。
そんな人たちの中には、都会であくせく働く人に対して、放射能にまみれてバカじゃないか?とか、そこまでして今の恵まれた生活が手放せないのか、とか言う人が稀にいたりします。
そして、江戸時代のように過ごそうよ、とか、スローライフが人間本来の生き方だとか、現代社会を否定するような理論を展開してきます。
そして、働けば働くほど搾取されていることに早く気が付け、なんてことも言います。
もちろん、こういうことを言う人がインターネット上にいるっていう話で、身近にそんな人はいません。(多分・・・苦笑)
ていうか、これにすごく頭にきまして、考えたんです。
あくせく働くことは悪ではありませんし、むしろ、働くことは、その行為自体が誰かの役に立っているわけですから、間違いなくスローにやっている人よりは社会の貢献度は大きいはずです。笑
つらいなあ、大変だなあ、と思いながらも顧客や家族、そして誰かのために働いているわけですから、尊敬すべきことです。
「いや、自分のために働いているんだ」と言っても、自動的に「誰かのため」になっているのですから、やっぱり、スローライフな人に、バカにされる筋合いはありません。笑
(もちろん、その仕事の結果、自然を破壊したり、社会を腐敗させたりすることもあるかもしれませんが、それを知っていて悪意をもって仕事をしている人はごく少数です。)
そんなこんなで、「仕事=働く=傍が楽になる」って、実はすごいことだと思うんですよね。
日本人は働き過ぎだと言いますが、そういう高尚な思想がDNAレベルで組み込まれているんだと思います。
他の国を見れば、日本人が全体としていかに高いモラルをもっているか、いかに他人をまず最初に考える民族かということがわかると思います。
働くって、そういうことだと思います。
だから、働くことが社会貢献なんです。
これはみなさん、声を大にして言っていいと思います。笑
自分に対する言い訳かもしれないのですが、何のための研究かという事を考えていました(考え始めたら何も出来なくなってしまうので、今までは見ないようにしながら、目の前の事に全力で取り組んで来たつもりだったのですが、もうそうもいかなくなってきたみたいです。)。
ふと、社会貢献とはどの様に解釈されているモノなのか?と思い、このサイトに出会いました。稚拙ですがコメントをさせていただきます。
このブログの考え方に共感しました。そして励まされました。どうしたら自分自信を活かして、社会に、一生懸命生きたいと思っている人のためにバランスを保ちながら頑張れるかを教えてもらえた気がします。根っからのエンジニア社長さんのような心持ちの方が増えて、繋がっていけば社会はもっと良くなっていくと思います。
世の中を良くするために力を尽くしたいと思っていても、具体的な問題意識がない限り、一貫して何かを成し遂げる事もできないのだなと最近気付かされました。
コメントありがとうございます。
私が20代の頃、何が社会をよくする最善の選択なのだろう、と、そんなことばかり考えて、自らの進路に対する選択肢を自ら狭めてきました。
しかし、年月が過ぎ、自分が色々な立場を経験すると、そのような若い頃の考え方がいかに一方的な考え方だったのかを痛感するようになりました。
明らかに若い頃より多くのものを肯定的に見られるようになってきたのです。
もしかしたら、また5年後、10年後には、もっと広い見方ができるようになっているかもしれません。。。
kai様は研究職をされているのですね。
未来の世の中に貢献する何かを研究されているのだと思いますが、研究というお仕事の性格上、そのようなお悩みを持たれるのは自然なことだと思います。
kai様のような真摯なお考えの方がいらっしゃることに私は嬉しさと喜びを感じるとともに、私自身も励まされた気持ちにました。
ありがとうございました。