批判グセ

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テレビを見てて、ホントに自分は幸せだなあって思った。

今日、日テレのニュースでミャンマーの被災地の様子を撮影したビデオが流れていた。
軍事政権に抑圧されている国民が、政権への批判をこめて勇気を出して撮影したものらしい。
(残念ながら、その後、拘束されたらしいが。。。)

軍事政権は復興をアピールしているが、実態はまったくそうではなかった。
1カ月たった今でも死体は無造作に放ったらかし。
もちろんモザイクがかかっていたが、死体が川辺にゴロゴロころがっているのだ。
その場にいれば慣れるのだろうけど、とてもショッキングな映像だった。

今自分に与えられているものを考えてみた。
ミャンマーの人たちから見たら、とてつもなく多くのものを享受できている。
すぐ近所で無造作に転がる腐敗した死体を見る事もない。
本当に幸せだと思う。

さてさて、いつもなら、ここで批判めいたことを言うのが今までの自分だった気がする。
「ホント、オレらって贅沢な生活してるよな!いかんな!」 と。
でも、そんな思考回路を少し考え直してみた。

とりあえず、幸せだなぁっていう感情を、そうやってわざわざ潰すこともないだろう。
むしろ、その幸せだなって思いから、何か新しいモノが生まれそうな気がする。
(不便や苦痛から新たなものが生まれるという、よくある発明・発想の考えと逆だが。笑)

他国の悲惨な現実を直視すれば、行動を戒める事もある。
しかし、今自分に与えられたモノをもっと肯定的に見れないだろうか。

不便だ苦痛だ、と言うのをやめること。
逆に贅沢だ遊びすぎだ、と言うのもやめること。
今の自分の行動をもっともっと肯定すること。
これで良いのだと思うこと。

そうすれば、もっと今を楽しめるし、今この一瞬に一生懸命になれるだろう。
現状に不満を持つ余地もなくなるだろう。

いや、決して他国の悲惨な状況を見て見ぬ振りして放っておけ、という事を言っているわけではない。
他国で災害があったら、隣人が困っていたら、助けを求められたら、その時は助けを出せばよい。
しかし、助けを出すにしろ、自らの行動を改めるにしろ、それが批判から生まれたモノだから報われないのではないか。
だから結局、世の中、不幸の連鎖、同じことの繰り返しになるのではないか?

人は日々生活に追われるような事もなくなり贅沢になると、余計な事を考える時間だけが増えて、なんやかんやと不平・不満を言うようになる。
批判から平和だとか、善だとか、美などのモノは生まれないだろうと最近特に思うようになった。。。
幸せで、すべてのモノに感謝して、そういう気持ちからこそ、平和や善や美なんてものが生まれるのではないかと。。。
思うようになった。。

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